工場オペレーター時代、”痛みを伴わず今すぐ死ねるボタン”があったら連打してたと思います。
どうも、ジョジロールです。
じゃあ逆に今はどうなんだと言われると、微妙ですね(笑)
健康体な人間でも、急に死ぬことってあるらしいじゃないですか?
だったらこの若さ(25なう)で死んでも、家族やらの心配してくれる勢も
「苦しんで死ななかっただけ幸せだったのかもね」なんて思ってくれるでしょ。
・・・こんなことばっか考えてると本気で考えだすから止めようね?
タイトルと離れていく気がするけど、
頑張るための目的意識を考える際に、ある意味隣り合わせである「死」についても考えるべきだと思う。
”頑張る=(強く)生きる”として、
”もうこの世では頑張らない=死ぬ”とも言えるし、
”自殺を考えるレベルまで自分を追い込んだ。頑張り過ぎた。=死ぬ”とすれば、
生きると死ぬは対義語ではないように思える。
なんかここから難しい話をするように見せかけてるけど、しません←
生きていくことも大変だけど、じゃあ死ぬのは簡単か?って言われればそうではなく、大変なのは分かってますよ?
しかし、だからこそ
「死にたいと思えばいつでも簡単に死ねる。だからまだ死ねない。」と思ってほしい。
僕が最初にこんな風に思い始めたのは中学生の頃でした。
中学1年生の途中ごろから顔中がニキビまみれになり、顔から肌色が消失しました(笑)
あの頃は本気で悩んで、親に「なんで俺はこんなにニキビが酷いんだよ!」とキレたこともあります。
そこでの回答は「思春期だから、汗かくからニキビは当たり前」「気にしすぎなんだよ」とキレ返され、病院に行くという選択肢すら与えられなかった。
それでも、最初は本気で治したいと思い、当時CM等で流行っていたプロアクティブを試すもダメ。
僕の使い方が悪い部分もあったんだろうけど、洗顔料が砂みたいにザラザラしててその刺激でニキビが潰れやすく、化粧水は汗っかきな体質の前では無力でした。
一部治ったと思ったら再発して、顔からニキビが消え去る気配すらない。
この”頑張ったらどうにかなるわけではない”問題に潰されそうになり、
「自分は自分視点から見える”人生”の主人公ではないんだな」と、割とありがちな失望感に苛まれ、
好きなゲーム以外のことは考えたくもなかった。
それでもまだ何とかまともに人間やれていたのは、
「人間って死んだらニキビ治るのかな?」という疑問でした。
は?って感じでしょうけど、僕にとっては一大事なんです(笑)
例えば、
「ニキビが辛すぎて・・・」みたいな遺書残して死にました。
で、お葬式が開かれて、焼かれる前の最後に「お顔を見てあげて下さい」みたいな時間あるじゃないですか?
その時に今と同じぐらいニキビまみれだったら、親はなんて反応するかな?と考えたんですよ。
「男のくせにニキビくらいで死ぬなよ・・・」
「今までお前の面倒見てきた時間とか全部無駄になったやん・・・」
「てか顔汚いなぁ・・・せめてニキビ治してから死ねよ・・・」
ここまで酷いことは思わないだろうけど、あの頃の自分はここまで想像してしまうほどネガティブでした。
こんなニキビまみれで目立ちたくないのに、声出してあえて目立とうとする野球部なんかに入ってしまった。
色々言われ放題で傷ついていたけど、
「こんな野球部に入った自分が悪い。まぁ入って見ないと分からなかったから、そもそも野球を好きになったのが悪かったのかな?てか、少6から始めるとか野球舐めすぎだわ。つれぇ。」
と、完全に自己否定でした。
で、さっきの”仮に自分が自殺した後、葬式で最後の顔合わせで親が思うであろうセリフ”に戻りますけど、
死に際にまで「顔が汚い」とか「ニキビ酷い」だけは思われたくないなと思ったので、
「せめてニキビ治してから死にたい!」と小さく決心するわけなんですよね(笑)
誰がどう見ても「生き切った!」って感じが見た目に欲しい的な?
今でも分からないんですけど、人間って死んだらニキビ治るんですかね?
首吊りとかで死んだら、体の穴という穴から体液が流れ出るらしいから、逆に酷くなる?
世界仰天ニュースにて、
酷い”そばかす”に悩んでいたとある少年が大火傷に遭い、
皮膚が再生する過程で悩みであった”そばかす”が治り、最後
「結果的に治ったから良かったけど、大火傷はゴメンだね。ハハッ。」
みたいな話を見かけたけど、自分も少し考えました(笑)
痛いの嫌だから、自然治癒能力に任せることにしたんですけどね。
そんなこんなで、治るまでは見た目を気にしないで済むことに熱中しようと決めた。
好きなことに熱中しているときは自分の顔がどうとか気にならないし、
「ストレスが原因」とか言われると腹が立つから、余計にストレスとは無縁で居たかった。
高専に入ることは将来の可能性を狭めたかもしれないけれど、
推薦入試を受け1月末には合格が決まり、周りの同級生より楽で居られたこと。
高専では陸上部に入り、中学での野球部時代とは比べ物にならないくらいストレスフリーで居られたこと。
それまで得意だった長距離は断念したが、投てき種目に価値を見い出せたこと。
なにより「通用しないなら補助に徹しろ」ではなく、新しいことに挑戦できたのが良かったと思う。
就活は学校側が推薦してくれるので、1社合格した時点で就活強制終了という制約はあるが、企業側にもメリットはあるが、学生側の僕も就活鬱みたいにならなくて済んだ。
ちなみに、最初の1社落ちただけでお母ちゃんに泣き言言ってましたw
2社目はだいぶ開き直って、面接で「僕はリーダーシップはありません(キリッ)」とか言ってました。
求人票の募集要項の3項目のうちの1つに”リーダーシップのある人材”と書かれていたので、
「最初に否定しておかないと、自分が困ることになるな」と思い、
「リーダーシップはありませんが、部活動の経験から私には向上心があると思っています。なぜなら・・・」と、
謎に注意を引くような、最後にメリットを持ってくることで良さを引き立たせる技術を使っていました(笑)
それ言った後に、「まぁリーダーシップは徐々に付けていってもらうとして~」なんて言われて、「は?ねぇっつってんだろ?付ける気もねぇわ」と心の声もありましたが内定し、
なんとか単位落とさずに卒業。からの”地獄の社会人編”って感じです。
まさか、ここまでに身に付けた”自分に合った生き方、人付き合いの仕方、価値観”全てを否定され、
「俺の20数年間は何だったんだ」と思わされるとは思いませんでしたよ。
色々酷いことを言われ、いい歳して泣かされて、でもしかし逃げずに戦った結果が、
”勇気ある退職”に自らの意思で踏み切れたので、いいんでない?
まとめ
頑張ってもそれが原因で死んでしまったら、
「もうちょっと上手に生きられなかったのかなぁ」とか言われると思うし、
結局、死んだ後で誰に何を言われても後悔しないように生きるべきだと思う。
僕の場合、ある程度我慢して我慢して己を殺して生きていると、
「自分は何のために生きているのか・・・生存するため?それ意味なくね?」
と思えてきました。
そこで、「死ぬのは簡単。だから、意欲的に生きることは凄い事だ!」
と自己肯定感を持てなきゃいけないし、そういう生き方に変化することを恐れてはいけない。
今現在、ニキビは治ったような、治ってないようなって感じですけど、
そう思えるってことは、自分の中ではもうあまり悩んでいないってことなんでしょうね。
ここに来るまでが長かった。実際、治りも遅かったし。
あとはお金だけなんですよね。一番難しい問題ですけど(笑)
昨日知らなかったことが分かる。昨日出来なかったことが出来る。
それを積み上げていくだけ。今回はそこに注力して、自己肯定感を高めたい。
「好きなことで生きていく」って言葉は表現が綺麗すぎて受け付けないし、
そもそも好きなことって何?意欲的に人生推し進めていけるだけの好きって何?って迷う方は、
「これやっとかないと死ねねぇ!」って思えることに取り組めばいいと思うよ!
”人生にゴールなんてない”って聞いたことあるよね?
いい大学に行くことがゴールではない。
大手企業に就職することがゴールではない。
結婚することがゴールではない。
マイホームが・・・子供が・・・定年退職が・・・孫が・・・
それすなわち、生きてる間にやることは全て”死ぬまでの準備”ってことじゃないのか?
じゃあ死ぬのがゴールか?って言われると、違うと思うんですよね~。
ゴールって言うぐらいなら、それに向かって頑張ろうと思えないとダメでしょ?
「あかん!ゴールしたらあかん!」って某アニメのセリフにありますよね?
人生の目的が”死ぬこと”ではダメだし、しかし”生きる(生存する)こと”でも自己肯定感が得られにくいからダメってことになるんよね。
そうじゃなければ、世界で鬱病が蔓延している状況をどう説明する?
ということは、「死んでも死にきれねぇ」と思える”何か”を持てるくらいには精神的余裕があり、元気で居ることが今の時代は1番大事ですよ。
”他の何か”にはあまり気にならないくらい熱中することが必要なんです。
ここまで読んでくださった方、感謝です!
乙