「騙されたくない!」という気持ちが強すぎるが故に情報発信者を否定し、
現状の自分を正当化することに努めてしまって、
自由人として二の足を踏む情報弱者について、語りたいと思う。
ジョジロールです。
まず第一に、情報商材とマルチ商法でごっちゃになる人も居るだろうけど、
マルチに引っかかる奴なんて自分の意思がないゴミカスだと思っているし、
それを情報商材屋と一緒くたにして、
「情報を売っている奴らも、汗水流して働いていないから結局ゴミ!!」
なんて発言をネット上で見かけるたびに、
「自分なりの判断基準のない、数字や実績、肩書のようなネット上でいくらでも嘘のつける情報でしか判断することが出来ない人間なんだな」
と思わされる。
だいたい、そういう人間が一定数居るから
”誰でも、簡単に”なんて売り文句やそれに似た表現が未だに使われていたりする。
ビジネスはボランティアではないし、僕ら情報弱者を無償で介護してくれる者など存在しないのだから、なぜそこを割り切れないのか。
「なぜ、見ず知らずの人間のためにここまで良くしてくれるんだろう?」という疑問が湧いてこないのか、不思議でしかない。
上で言った”自分なりの判断基準”について説明するが、
ネットでモノを売っている人がお金のために情報発信をしているのは当たり前だ。
ただ、目的がお金のためだけだと納得がいかず「なぜ私はこの人から教わる必要があるのか?」
という疑問が、まともな人間なら必ず発生する。
そこで必要になってくるのが、
その人物・メンターの過去の話、その時にどう思ったかの感受性の問題だ。
不当な扱いを受けたり、社会で通用しない自分に対して、
自分では思考を上手く言語化出来なかった部分をことごとく代弁してくれて、
自分の進むべき未来を見せてくれる存在、
情報商材屋と言えば聞こえは悪いが、そう言った方も存在する。
あまり個人名を出すのは、
僕に何かあった場合に迷惑をかけてしまうかもしれないので控えるべきなのかもしれないが、
”わっきー”という名でブログやYouTubeで発信している西脇さんだ。
正直、これは最初から思っていたことなのだが、
わっきーさんの発信内容、生い立ち、学歴、実績などは、全て嘘でもいいと思っている。
これは特殊な考え方かもしれないが、
教え子のためになるのならと自分を偽って発信することは、情報業界では普通に有り得ることだと推測できる。
伝え方、影響力の高め方、人間心理、マーケティングなど書籍で学んでいると、
どうも初心者と呼ばれる人間の多くは、素人に毛が生えたような人物からはモノを教わりたくないそうだ。
つまりコンサルティングなどの教える仕事というのは、
先生がより権威性があればあるほど相手は信頼しやすいらしい。
全くの素人なら、それより一歩先の人から聞いた方が分かりやすい気もするが、
なにせ知識がない上に、「こんなに凄い人なら大丈夫だろう」と思ってしまう。
確かに昔の自分も、
お金を払ってでも勉強するとなれば、それなりに凄いと思える人がいいと感じていた。
ただ、この”凄い”の判断基準が分かりやすい数字で表されるものだと危険であると伝えたい。
人間は数字に弱い。特に、キリの悪い「17」や「79」といった素数のような微妙な数字に。
だから、10000円を9980円などと表記するのは、桁数が下がって実際に安い以上に、視覚情報的に「魅力的」に感じる部分も大きいそうだ。
こんなことも書かれており、ツイッターでの自称成功者も月収・年収自慢だけが目的でないことが分かる。
かく言う”わっきー”も3億稼いだやら月収500万だの数字を目立たせているので、
完全には信用できない部分があった。
しかし、自分はネットを通じて嘘をついているか否かを判断できるプロになりたいわけではなく、
労働者階級でなしに、自分の好き・得意・向いているもの・価値でお金を稼ぐことが目的なので、
この業界でよく好かれる「素直な人間」で居ようと思った。
多くの人間が「○○さんみたいになりたい!」と思う中、
「○○さんみたいにもっと思考を言語化できるようになりたい!」の部分が強く、
初めの商材を購入する際には、
「これだけの動画を投稿していて、自分の思いを語りまくっている」
「これが何から何まで嘘なら逆に尊敬する」
「この人になら、騙されても掘られてもいいや()」
そのくらいの勢いなしには、今より果てしなく情報弱者であった僕は購入に至れませんでした(笑)
それと、これは今の考えだが、
分からないから欲しいと思い、情報を手に入れたいと思うのであって、
知識があればどれだけ煽られようが問題がない。
また知識が無いにしても、
分からないことが分かった場合にそのままの流れで情報商材を購入するか、
書店やネット上などでお安く情報収集して知識を付けるかは僕らの自由だ。
これは伝え方の技術で、
「AのプランかBのプラン、どっちがいい?」
のような選択肢を提示し、拒否権を無くさせる効果を利用している。
この場合で言う拒否権とは、情報商材を買わずに、だ。
こういう魅力的なオファーなどは実際に身を持って体感した方が分かりやすいし、
この先自分も情報商材を売るという選択肢が持てるだけでも価値がある。
これは「騙された」という価値観の話だが、
無料で公開された動画などで恩を感じるというか、
そのメンターの価値観が自身に共有されていれば、好きも同然なのだ。
購入したばかりのころは「騙された」状態で、
自分の実力不足であるが故に「これに○○円の価値はないのでは」と不安になることもあるが、
メンターが好きで買ったのだから、後悔はない。
「騙された」と早々に結論付けては嫌いになってしまう。
自分なりの判断基準に泥を塗ってしまう。
ならば、そのメンターを好きで居続けるために、「実質騙されてませんから!」という領域まで自分を高めてやろうと思える。
これが、情報商材は分かりやすい数字などから見える実績重視ではなく、
直感というか、自分の潜在意識をいかに言語化出来ているかが重要に思う。
僕の場合は、「自分の姿・声などの個人情報を一切晒さずに」という条件は無かったので、
情報発信するために必要な能力をメンターに見い出し、信用に至った。
嘘をつかれているのは面白くないと考えるのは同感だが、
お金のためとは言え発信者として嘘をつき続けるのは容易ではないだろう。
その苦しみをこの先数十年も、僕ら情報弱者のために実践してくれていると考えると、
感謝こそすれ、怪しいだの0か100かでモノを語って非難するのは間違っている。
もしあなたが「完全に騙された」と感じたなら、
「1本取られたな」くらいに思って自分の力不足を認めるべきだ。
そもそも、自由な人生とは自分に全て責任があるので、
成功者になりたい人間がとるべき行動なのかどうか考えてほしい。
他者の場合ではなく、自分の場合はどうなのかをひたすら考える。
人生とは、自分の場合はどうなのかというところの追求のように思う。
まとめると、
批判していてばかりでは、他人のために時間を使ってばかりではダメということ。
ゲーム実況者を含むYoutuberなどは、
「広告収入を得ている以外はお金儲けについてはやましいことはないし、
ほぼほぼ無料で僕らを楽しませてくれているから、善か悪かで言えば善!」
と答える人は多いだろうが、
目に見えない”時間”の部分は全く無視されているし、
僕らの貴重な時間を配信者のチャンネルパワーを上げるために利用されているし、
月額課金でプレミアム登録?なるものをしてしまうと、
「せっかく広告流れなくなったのに勿体無い」思考が発動して、より多くの時間が発信以外に費やされる。
「個人の時代だ!だからブログやYouTubeで発信しよう!」と言われているこのご時世にだ。
とんだひねくれ者のような物言いだが、要は「物は言いよう」ってことw
良く思うのも悪く思うのも個人の自由だし、何を好きに思うのも価値観の違いでしかない。
あまり否定してばかりだと自分自身への行動の基準が高くなりすぎて、完全でない自分を許すことが出来ない、つまり選択肢を失いかねないので、
悪い所ではなく良い所を吸収して役立てていった方が良いと思うよ!
こういう発言はいわゆる高所得者・成功者になってからの方が説得力があるのだろうが、
お客さんと同じ目線のときに言う方が説得力があるとも言われるよね?結局どっち?w
つまり、早く行動せよ。言いたいことは早く言え。
それはネット上に資産として残ることとなり、歴史となる。信用となる。
早く行動していきましょう(笑)
おつ。
なかなか有用で読みやすい記事に思えるが
それでも、あなたちょっとおかしいですね
自分も情報商材を売るという選択肢が持てるだけでも価値があるとおっしゃってますが
この場合は当然、嘘の実績をかかげて
金を稼ぐ方法を教える情報商材を売るという
選択肢が持てるだけですよ?
そもそもこの金を稼ぐ方法ってのが
再現性のない詐欺みたいなものであれば
誰の役にも、何の役にも立たないでしょう
そんなものを得て、あなたは何をするんですか?
きちんとしたサービス、きちんとした商品を売るのであれば、くだらない情報発信者の商材など
最初から必要ないのですよ
コメントしていただき、ありがとうございます。
随分以前に投稿した記事になりますので改めて読み直しての返信となります。
まず、有用で読みやすいように思えるとのお言葉に感謝しております。
総評が「あなたおかしい」でも満足です。
しかし、「この場合は当然~」辺りの文面から、かなりの決めつけで当記事を捉えているように感じます。
もちろん遠藤様の仰られていることについて理解できる部分もあるのですが、
嘘の実績を掲げることが完全悪なのか?と言われれば、問題はそこではないと思っています。
「嘘をつくような人間から何を教わっても無駄」というのも、ひとつの価値観に見えてなりません。
だからといって、稼げればそれで良いのかというのも異なるので、罪悪感に苛まれ情報商材屋から足を洗う方もおられることは把握しています。
私が当記事にて言いたかったのは「販売形態としての情報商材はあり」と言うことであり、そこが私にとって学びであったのです。
しかしそのためには、売るものがある。実績がある。それにより他者との違い、オリジナリティを生み出すことが最低限必要であると感じましたが、
当時の私には何もないと分かり、優先順位の関係上、情報商材で学ぶという段階から離れました。
よって「私は彼らの行いの全てを否定できないので、情報商材屋になりたいと思っている」というような旨ではないのです。
ですので、情報商材=お金を稼ぐ系に限定する意味は私には分かりませんでした。
〇再現性のない詐欺みたいなもの
上記について語らせていただきたいのですが、
まず世の中には、「再現性のない詐欺みたいなもの」で溢れていると思います。
例え話をしだすと長くなるので省きますが、その前提が正しいと仮定すれば、
金を稼ぐ方法に限って、イコール役立たずというのは若干異なるのでは?と感じました。
学んだ内容自体の価値を活かせなくても、取り組む姿勢など学び取れる部分はある。
野球の強豪校でなくとも、礼儀作法、謙虚な態度などは学び取れますが、皆、甲子園を夢見てレギュラーを目指して頑張ると思います。
だけども控え選手であったから「騙された。本来の目的とは異なるものを得た気になって、入部して辞めなかった自分を正当化している」と結論付けてしまっては、
本当に何も学び取れていない、何のためにやってきたんだと後悔するだけ、時間を無駄にしただけになってしまいます。
結論ですが、
役に立てるも立てないも購入者次第なのではと私は結論付けています。
自分にとってきちんとしたサービスとは何かなど、考えるきっかけにさえなればいいのではと。
ですので、「最初から必要ない」なんていう発言は結果論であり、その結果のみを与えようとする発言は他人を思いやったものではないですよね?
ただしかし、「きちんとした」という部分に関しては、顧客との向き合い方に属すると思います。
あまり言いなりになりすぎても、顧客の要望の奴隷になりかねないので匙加減が必要ですし、人生のリソースの配分次第かなと。
長文失礼いたしました。