中学卒業したあたりから、交友関係が狭くなったなぁと感じました。
それは、通っていた中学付近の進学校、普通科などに人気があり、
自分は高専専門学校という、勉強が全然ダメというわけでもないのに早くして工業系に進む際、周りとの差が生まれたように思います。
それは十分考慮していたというか、むしろそれが狙いで高専に入ったまであります。
中学の頃の僕はニキビが酷かったので、今の精神状態では皆が憧れがちな「青春を謳歌する」を楽しめない、もしくは味わえないと思ったんです。
顔中のニキビで自信喪失して、「どんなに目立たないようにしても、学校に居たら女子にこの顔を見せてしまうのが申し訳ない」と思っていたので、
まず第1に女子が少ない学校が良いと思いました。
あと、野球部で1学年上の先輩に不快なあだ名で呼ばれ続け、
自分が抵抗を見せなかったことで、高校で再会したらまた言われるだろういう恐怖があり、
第2に野球が強くなく、カースト上位に位置する陽キャが行きたがらない学校にしようと。
まあクラスがあり集団が生活する以上、高専でもカースト上位は居たんでしょうけど、
こちらが害を及ぼさなければ大したことはしてこなかったので、
どうせ触れ合わなければいけないなら調教済みの害獣を選びます。高専オススメです←
高校生にもなれば、そういう過度なイジリとかしなくなるかもなぁと期待したかったんですけど、
その期待に裏切られた際のリスクがデカすぎるので、迷いはなかったです。
完全に逃げの姿勢(笑)
あと単純に、高校生になる段階で一旦人間関係をリセットしたかったんですよね。
周りが楽しければいいんですけど、自分にもそれなりに自己防衛というか、尊厳があったので、
中学時代は仲良くなっても相手が「俺のが上」って本能に目覚めるのか知らないけど、
結構舐められてました。
まあ自分が嫌な思いをしすぎて、「相手が嫌がることをしてはいけない」に拘り過ぎ、
友達といじり弄られの関係を築いて「ここまではやっちゃだめ」と提示しなければいけない人達を、野放し状態にしてしまったのが原因かなぁと感じます(笑)
あの頃の僕は顔中のニキビを気にしなくて済むような、
何かに夢中になれればそれが1番幸せだったので、人間関係には刺激を求めてなかった。
その弊害は確実にあるけど、当時の僕に
「周りの人たちを楽しませたい。そのために自分が笑い者になるのは厭わない」
なんて考えは全くない!ガキンチョはそれを察せずにエスカレートするから仕方ないね。
長くなったんで切り上げて第3の理由を述べますけど、就職率100%(?)だったからです。
あと、大学行かずに就職できるし、高校→大学の7年が5年で済み、学費も半分以下だったかな?
これには僕の親も大喜びで、「ここが良いんじゃない?」と鼻息荒かった思い出。
そんなこんなで高専生
中学では野球部で、これから陸上部かな?どうしようかな?って感じ。
まだ部活入らなくても大丈夫だと自分に言い聞かせて、授業終わったらすぐ帰ってた。
当時、ガラケーという名の最高の遊び道具を手に入れたから、忙しかったね。
YouTubeでアニメを2分刻みで見ていた。docomoのガラケーが羨ましかった。
で、遅ればせながら5月前?くらいに陸上部に入った。
今考えれば、部活入ってなかったら3年生くらいから友達居なくなってた可能性あったから良かった。
やっぱ体動かして、もっと言うと楽しい時間を共有したことがあるって、
ただのクラスメイトのそれとは全然「仲間」感が違うわけよ。
喋れることがないって同級生も居たけど、少しばかりの居心地の良さを感じてた。
野球部の頃には感じなかった「俺の居場所はここだ」感が凄かった(笑)
顧問の先生は幽霊だし、特に投てき種目は自主性に任せられたから、
団体競技だと、戦力になれない「個」は裏方に回らなきゃいけないし、
自分の性格も含めて将来の仕事ってやつも、基本裏方やサポートが向いていると思わされた。
しかし、陸上部に入った理由が
「自分個人がどこまでやれるか試したい。試せずに終わるのは嫌だ」なので、
3年時に円盤投げで一応県大会まで行ったのは自信になり、
就活の際はこの成功体験談におんぶに抱っこでした(笑)
話を戻して、人間関係について
部活では人生絶好調状態でしたが、勉強面はイマイチでした。
最初の英語の授業で、発音記号の読み方すら教わっていなかったことに気付き絶望。
国語の試験で100点満点中において過去最低の40点を叩き出し絶望。
自分の考えにマッチした答えでないと△を付けられ中々〇を貰えないのが原因だった。
この国語教師は「起立!気を付け!礼!は軍隊みたいで嫌なので止めてください」とかいう変り者で、
他には「YouTube見てて授業遅れました~」と言ってのける数学教師や、
アメリカ陰謀論を語り上げ、「俺いつか殺されるかもしれん~」なんて言いつつゲラゲラ笑う生物科教師など、高専の教師は曲者が多かった印象です。
で、また話が逸れ始めたので戻しますと、
部活と比べて勉強はつまらないということ←
高専を選んだ理由に「○○について勉強したい」とかが無いからお察しですよね。
2年までは全学科共通のクラスもあり、そこまではクラスでも良好な関係築けてたけど、
3年から科目別のクラスのみでの授業となり、
移動授業の際のメンバーが居ないなど、少し寂しくなった。
金魚のフンに逆戻り状態になりかけて、
「同じ学科のやつともっと仲良くしておけば良かった~~」と後悔した。
ここで1つの疑問が生じた
「なぜ自分は、既に出来上がっている集団に混ざりたいと思うのか?」
出来上がっているというのは要約すると、話が盛り上がってて楽しそうって意味。
混ざりたいというのは、自分の気持ちどうのこうのでしかない。
つまり、「もっと面白い話がある!」「君らが話してるスマホゲー詳しいよ!色々教えられるよ!」など、何らかのメリットが自分に持てていれば話は別だが、
外部から「アイツ友達居ないんじゃね?」「アイツが喋ってるところ見たことなくね?」と思われたくないがために、クラスメイトを利用したくなかった。
そもそも、集団に混ざるためにスマホゲーやるの?と思えたし、
中学生の頃に仲良かった友達が、まともに話せてないのに集団の円の1回り外で、
如何にも「俺も外部の人間からは、この集団の仲間と思われてるよな?」感出して愛想笑いしてて、痛々しかった。
また少し感傷に浸る
野球部の頃は自分が下手くそだったから仕方ないけど、
3年生が引退するまでマトモな野球の練習が出来なかった。
「声出しとか雑用するくらいなら、1人で良いから壁当てとか素振りがやりたい!」
「極論言えば野球でなくても良いから、とにかく強くなりたい!」という自分の気持ちに変化が生まれ、
有意義に思えることに時間を使いたいという気持ちがあったからこそ、ほぼ1人で円盤投げを練習するのは苦ではなかった。
中学生の頃、家の近い野球部連中と帰るとき自分だけは決まって2列目だった。
3人で帰るときに自分だけが2列目なのは分かるけど、
4人で帰るときも自分だけが2列目、前に3人が話しているのを見て、
「自分はこのグループに必要ないよな」と思っていた。
面白い話をするわけでもなく、たまに割り込めるタイミングを苦し紛れにうかがうだけ。
だって、全く喋っていないと居ないのと一緒だって恐怖感があったから。
最後に
自分が楽しいと思えることをやれている時は気になりにくいけど、
そうでないときほど相手からどう思われているか気になるんだと思う。
学校や職場で、結果的に無理して混ざろうとした場合も同じことで、
楽しめていないから自己表現が乏しい→不快な扱いを受ける。自身への集団に対する異物感。
自分自身が変わらないと、関わる集団が変われどまた、同じような扱いを受ける。
「自分はこういう人間です」ってなんとなく分かる程度の自己表現をしないと、
周りの人間は自分を扱いにくい。周りの気分によって酷い扱いを受けることもある。
ただ自己表現をすると言っても、楽しめていないとそれは中々出てこない。
だから過去の中学の野球部や、高専の学科のクラスでは「仕方なかった」と割り切ろうと思う。
工場オペレーター時代、教育熱心な上司に
「家族や友達より長い時間一緒に居るんだから、もっと素を出してみろ」
と言われ、「いや、量より質だから。家族や友達の方が大事ですけど?」
と言い返したくなったのも、自分なりの価値観で仕事を楽しめていなかったから。
自由な生き方って結構馬鹿にされがちだけど、
集団での活動をしないことで、そこに価値観の合った者同士分かり合えることもあり、
求めないことで手に入れられるものへ日々動き回って近づきたいと思う。
単純な話、近くに居る人間が何が楽しいのか知らないけど笑ってくれてたら、
こっちも笑えるし楽しい気分になれるってこと。
今ぼっちでも気にすんなよ!!
乙